意見の対立と仕事の分担。
整理整頓のために書く。
モノはプロジェクトによって管理される。
職場間と連携しなければ質のいいモノは作り出せない。なので必然、プロジェクトという大きな管理単位のもとで、モノの設計・評価状況、問題の解決の仕方の状況が管理される。
プロジェクトでは、遅延がある場合、解決すべき問題、がある場合それらに対するアプローチなどが打ち上げられる。打ち上げられた事項は、責任者が指針を示し、プロジェクト管理者が「それって何のためにするの?」「意味あるの?」と妥当性・有効性を即時判定し、結果各職場にアプローチが還元される。
ちょこっと今日のお話をする。
私は、かつてある一機能の一階層(でしかない)の設計を担当したプロジェクトで、問題がある為いまも解決すべき問題から離れることができていない状況*1である。
まず他部署から"問題解決方法としてこれやってみたらどうなの?"的なメールがくる。それにカチンときた上司が、"こっちは協力するなら助力は惜しみません。が、やれというならちゃんと詳細に指示だせよ"と、お怒りまじりのメールを出す。それに対して詳細な値を記述した"すみませんこんなんみてくれます?"と返事が返ってくる。
これに対して私が、"今日もう定時なんで、次週やりまーす"と返す。
…うん。問題ないな。
いや、問題があるかな?
というのは、定時間際だったという言い訳しかできない*2のだが、こんなんみてくれます?の妥当性を判断せずに「やります」とメールしてしまったことだ。
メールは証拠に残る。やるといったことはそれを中止する決定的な理由でもなければ、やらねばいけない雰囲気がある。
冒頭でプロジェクトにおいても用いられているように、妥当性の判断、業務の取捨選択は、働く中で非常に重要なファクターである。無駄な仕事と有用な仕事との判別をつけなければ、延々と無駄な仕事を増やし、結果工数のみが増加し、品質も悪いの、悪いづくめになってしまう。
先の事項では、妥当性を判断したのち、案をひねり出し、もう一度相談すべきだったかもしれない。
上司は多忙だが、自分はもっと頑張らなければいけない。
強く感じた今日でした。