目的意識。

たぶん忘れちゃうだろうから記録しておこう。
茶道部の後輩から来た案内を断っちゃったんだけど、わかりました+αのメールが迅速すぎて惚れた。

いうなればこういう子は好きだ。

最近、漫画をようやく味わえるようになった私は、
こういう直情的な生き方というものをずっと忘れてきた気がする。
アフタヌーンもっけ,8だか9巻だかの、主人公の弟分によく表れている)

これは私があこがれてきた『格好つけ』にもつながる。
(ジャンプ,めだかボックス,マイナス13組くまがわみそぎの口癖)

格好つけはふつう恥ずかしい。
だけれど、その場の思いそのままに行動する原理に則ってやると、私みたいなシャイボーイでもできるわけだ。

よくよく思考が軽い私はこれをよくする。

そう、私は思考が軽いのだ。
そんな私がいよいよ目的意識をもつことをするようになった。

といってもたいそうなものではけっしてなく、
今日でいうと、

  • 人に自身を好くみられることを目的として、まゆげを整える
  • 服に妥協する自身からの逸脱を目的として、服装に悩みぬく(妥協しない)
  • 女性とあらゆる角度からキスしたいを目的として、歯を磨く

・・・こんな感じだ。

  • 直情型人間になることを目的として、それを行動原理に据える
  • 風呂に入り背中を磨くときには、右・左の手の感覚をそろえることを目的として、磨く

も追加だろうか。
いままで単純にまゆげを整えたり、歯を磨いたり、
それは念入りにやっていたけれども、それらには目的意識が欠けていたわけだ。

こうすることでようやく、「生きる」ということをしている気になる。
「なぜ碁を打つかもなぜ生きるかも一緒じゃないか」
(ジャンプ,ヒカルの碁,23巻やんはい)

ということを意識する。
生きるということは、よくわからないことだけれども。

”手探りでこう、悩んだりしながら進む、ということが、生きるということ”なのだと再認識。
(アトラス,ペルソナ3,じゅんぺいがアイギスに対していうセリフ)

そして私は習慣づけを増やしていこうと思う。
”モチベーションを失ったときでも稼働できるしくみづくり”を。
(アトラス,ペルソナ3,みすず生徒会長の挨拶)

とりあえず現行は芥川の河童を読んでいるのだが、これを読むことを楽しみとしつつ。
河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)


あとなぜ生きるだとかそういうことに縛られているのが、青臭いことがわかった。
いや、"実感した"というか。
それは経験じゃないのだけれど、何の漫画or小説で思い知ったのだか忘れてしまった、、

人は周りの人により”その人”が形成される。

だから、私たちは、周りの人に対してアピールすべきなのだ。

  • 周りの人によくみられたいから、清潔にし、
  • 周りの人によくみられたいから、服装も普通によくし、
  • 周りの人によくみられたいから、性格も普通によくし、
  • 周りの人によくみられたいから、そのための目的意識をもち行動すべき。

・・・・なのである。なにが契機だったかなぁ・・・。


こうかくと高尚な感じにみえるが、今日一日はなかなかひどかった。

人を送るついでに用事を片付けようとしたらひっどい服装でうっかり街に出てしまい、
一時帰宅し、悩みぬくことをつらぬこうとした姿勢からの再起、
コンビニへ歩いては昔と今と何が変わった?と無駄な自問してからの、
風呂に入り不真面目であった学生時分を元交際相手の気持ちになって反省し、
その結果がこの駄文。


ちゃんちゃん。