カミュ「シーシュポスの神話」の1節から。
- 作者: カミュ,清水徹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1969/07/17
- メディア: 文庫
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+カミュが例としてあげたアリストテレスの明晰な証明について考える。
彼は
精神の第一歩は真であるものを偽りから区別することだ
と言った。これに対してアリストテレスの証明として、
(中略)すべては真であると断言することによって、われわれは、それと判定の断定も真であると断言することになり、したがってわれわれ自身の命題とするところの虚偽を断言することになる(なぜなら反対の断定は、われわれの命題が真であることを認めないのだから)。そしてすべてが虚偽であると断定するならば(中略)
これは単純に、すべては真である、という命題と、すべては虚偽である、という命題が矛盾しているため、この2つは命題として定義できない、といえるだけのことなのではないだろうか。
+カミュの素晴らしいところ
アリストテレスの説を、迷い込ませる循環的論法の、最初にすぎない。と評した後で言っている言葉。
理解するとは、まずなによりも、統一することである(中略)
明晰さへの本能的欲求である(中略)
ひとりの人間にとって世界を理解するとは、世界を人間的なものへ還元すること、世界に人間の印を刻み付けることだ。
し、、、しびれるぜ。